で、何が特別かというと、私のもとに突然NHKから連絡がありました。「ネットで見つけた連鎖堂さんの『ネガティブ・ケイパビリティ』の感想が面白かったので、連絡させてもらいました」「8月末頃の放映で『ネガティブ・ケイパビリティ』の特集をします。そこで、読書会を取材させていただけませんでしょうか」という。
そこで読書会を開いたんですが、しかし皆さん、カメラが入って全国放映されるかもしれないというのに、いつもどおりというか、自由というか、好き勝手でした!
いやー、楽しかったですね。テンションが上がりました! 長いこと本の投稿をしていると、こういうこともあるなと。
以下、参加者から出た意見です。
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Aさん
- ウイルフレッド・R・ビオン(精神科医)の言葉「ネガティブ・ケイパビリティが保持するのは、形のない、無限の、言葉ではいい表わしようのない、非存在の存在です。この状態は、記憶も欲望も理解も捨てて、初めて行き着けるのだと結論づけます」(58頁)の部分、映画「2001年宇宙の旅」を思い出した。この映画は、人工知能HALが狂って危機に陥ったとき、HALの記憶を抜いていくことによって航行を継続でき、ついに木星=ジュピター(理性の象徴)を超えて進んでいくんですが、そこから終わりまでの圧倒的な映像を思い出すだけでもドーパミンが出る。この映画は、何故か特に男性が色々と解釈しようとしてくれるけど、解釈なんかしないほうが、あの謎を楽しめると思った。
- Hさん その映画にはカタルシスはあるんですか?
- Aさん カタルシスを求めることはネガティブケイパビリティの対極にあるのよ!
Bさん
- 理解しにくいところもあり、ネガティブ・ケイパビリティを学ぶことでネガティブ・ケイパビリティが鍛えられる、と思った。
- なぜ理解しにくいか考えてみたところ、「否定」の難しさがあるのではないか。否定というのは抽象的なので。ただ、否定神学(「神は何でないか」から考える神学)など、否定から切り込むことはありうるかもしれない。
- 自分の人生の選択で考えてみると、「こうやったことで解決したんだ」と自分に言い聞かせていたところがあったが、ネガティブ・ケイパビリティの考え方で、こういう言い聞かせをやめることができたように思う。
Cさん
- ビブリオバトルで紹介してもらって読んで以来、もう4回も読んだ。しんどいときには読むようにしている。周りの、潰れそうな方にも薦めている。
- 私は行方を案じすぎてしまうんですが、この本で、解決だけを求めないということを学んだ。今のその時を楽しんで味わえればよいというような。
Dさん
- 研究に必要な「運・鈍・根」はネガティブ・ケイパビリティに通じているという話(194頁)が印象的だった。昔、科研費をいただいたとき、結果が出なくてすごく焦った。そのときは利根川進さんの本を読んで耐えようと思ったが・・・。社会に余裕がないと、学問の大きな成果は出ないと思う。
- 私は何でも分かりたがる、答えを求めてしまうタイプなので、しんどいことが多い。
- Hさん でも、Dさんが撮らはった映画は、むしろ答えを示してなかったような・・・。
- Dさん 作り手となると違うんです。そういえば、私が一番好きなチェロの「無伴奏チェロ曲」は、よくわからないのにそのまま受け止めることができた。
Eさん
- 6頁で「何かを処理して問題解決をする能力ではなく、そういうことをしない能力」とネガティブケイパビリティの概念が書かれているので、理解したつもりで読み進めていったが、メルケル首相など具体例がいろいろ出てくるとよくわからなくなった。ただ78頁でポジティブケイパビリティについてとの比較の記載を読むまでは「ネガティブ」と「ネイティブ」を読み違えていたこともあり「人間に本来備わる」というような良い意味に捉えて読むことができた。
- 自然療法で学んでいる聖ヒルデガルドやバッチ博士の著書によく「中庸であれ」という言葉が出てくる。それに通じるものがあるので、今後理解が深まると思う。
Fさん
- なんでもすぐ検索して、答えを言う人が苦手です。黒井千次「知り過ぎた人」の話(75頁)にはとても共感できた。そんなにすぐ答えなくてもいいのに、と思う。
- 広い視野、「頂点」を持つ(57-58頁)というのも共感できた。人にはそれぞれ、考え方や性格など良いところがある。頂点を意識して人と接したいと思っている。
Gさん
- ネガティブ・ケイパビリティには、少なくとも2つの意味があると思う。①解釈しないという意味と、②答えを出さないという意味(いわば待機戦略)。これを今一歩、分別できてないのではないか。
- 私としては①を、自動的に生じうる解釈を止めることは可能かという意味でもっと知りたかったが、なしくずしに②の話が混じってきてしまっている。
Hさん
- 世の中には、そう簡単に解決できない問題が満ち満ちている(192頁)というのが、強く同感。
- 私は弁護士だし、もともとは完全に問題解決志向。客観的な問題が解決すれば、全て解決する。なんなら、主観なんてない、みたいな。しかし、ちゃんと勝てなかった案件でも感謝されることはあるし、勝訴しても真の問題はぜんぜん解決してないこともある。職種が違うんで、解決を目指さないことはないけど、私が入ることによって、マシになる案件なら、入る意味があると思った。
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いい本でした。実際、私は『ネガティブ・ケイパビリティ』を、重要な概念だと思っているのです。分からない、解決できない、でも平気っていう。
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料理のほうは、暑くなってきましたが、しかしポーク! バルサミコソースでさっぱりと。
では来月は、いい新書とともにお会いしましょう。