中世と現代、昔の西洋と昔の日本の、共通点や相違点について活発に意見が出されました。現代では考えられない、偶然刑(死ぬかどうか偶然の死刑など)や、「推し刑」などが盛り上がりましたね。
私は職業柄、この本は極めて面白かったのですが、参加者からの意見を聞いて、ひとりで読んでいたときには曖昧に済ませていたところが分かりました。
私は、「中世では現代よりも、集団の規範を個人が内面化していた」と捉えていたんですが、というより、中世では内も外も全てが一体のコミュニティだったのです。弁護士なので個人責任が先に来ちゃうんですが、個人責任が後から来たのです。しかしよく考えれば現代でも、特に少年犯罪や企業犯罪(検査不正とか)では、まさに集団の流れの中で実行犯が自然に生じるようなこともあります(ちょっと違う話ですけど)。
以下、参加者からの意見です。
□
Aさん
- 刑吏は、医療や製薬も営んでいた(132頁)という。首斬り浅右衛門こと山田浅右衛門を思い出した。江戸時代、刀の試し切りと罪人の斬首を世襲で担当していた一族で、死体の肝臓から薬を作っていたとか。交流がない中世ドイツと近世日本で、それぞれ独立に似たことが起こるというのは、人間の本性の表れではないか。
〔注:山田浅右衛門については、次のURLなどを参照〕
Bさん
- 本書では供犠・呪術としての刑罰によって秩序が回復すると信じられていたとされている。(95~96頁)しかし、殺人や強姦などによって共同体が被った取り返しのつかない傷が、刑罰によって無かったことになるというフィクションが本当に信じられていたのだろうかと問いたくなる。むしろ、刑罰とは、かけがえの無い何かが共同体から失われたことを確かめるための儀式だったのではないだろうか。
Cさん
- やっぱり、オチ(190頁)に最も感銘を受けた。罪を個人責任としたことは、(連座制を廃止したのでもちろん正しいが、)それによって罪の社会的側面が見えにくなったのは確かだとおもう。弁護士としての経験上、犯罪者が全て悪人であるとか、犯罪は全て個人の責任で生じるということはない。
- ところで、私の経験では、成人は個人責任を内面化している(なんといっても自分で決めて悪いことしたな、という感覚)があるが、少年犯罪では薄いように感じる。その意味では、少年のほうが中世的だと思った。
- 参加者からの意見:いや、それは後から思い返したときに成人のほうが反省を言語化できるだけで、行為時には、少年でも成人でも責任からの判断はしてないのでは?
- Cさん:確かにその側面はあるが…。指摘を受けて思いついたが、少年犯罪のほうが、集団の中で、集団の流れで行われることが多いように思う。少年のほうが中世的に思えるのは、そのせいかもしれない。
Dさん
- 基本的に刑吏への蔑視を不当とみる論調で話が進むが、15世紀になって、(拷問が前面に出たことにより、)市民が刑吏を蔑視するようになったのは「当然のことであった」(158頁)と書いてあって、驚いた。刑吏が拷問を行ったことの評価や論述が、ちょっと飛んでいるように思う。
Eさん
- 共同体の全員が参加して処刑していたというのを読んで、刑は秩序維持のためだったんだなと、強く感じた。
- 共同での処刑が大都市では不可能となった(126頁)のは分かるし、それを刑吏が担当するようになったのは分かるが、なぜ賎民としての刑吏が生じたのかは、なにか自然に生じたような記述で契機はよくわからず、まだ謎として残ったように思う。
Fさん
- 本書によれば、古代では、処罰は儀式だったと。
- 今たまたま読んでいる『監獄の誕生』(フーコー)では、中世の処罰は、君主の偉さを示すための手段とされていた。近代になると、「権力」が変化して、処罰は、自己規律になっていくという。例えば監獄では、生活を分単位でコントロールするなど。
Gさん
- 刑の前に目隠しをする(55頁)など、処刑される者への呪術的なおそれが、日本や現代とも共通して、興味深かった。差別されていた職業(14頁)も、日本と共通するものが多い。
- あとは、偶然刑(66頁など多数)が、目から鱗でした。死ぬかどうか分からない死刑、生き残っても刑の執行は終了とは、驚きです。
- みんなの「推し刑」も聞きたい。
- 参加者からの意見:犂による首刈りがとんでもないと思った。処刑される者を地面に埋めて頭だけ出して、慣れていない御者が馴れていない家畜で犂を引いて、直撃されると首が刈られるが、3回生き残れば自由になる、って、いったいどういうこと?
□
楽しかった! 2枚目の写真はチキントマトスープ。寒いときには温かいスープ! ではまた来月!