2020年11月1日日曜日

第8回読書会 『グロテスクな教養』(高田里惠子、ちくま新書)


新書読書会「連鎖堂」を開催しました。今回の課題本は、『グロテスクな教養』(高田里惠子)。

 この本はかなり歯応えがあるというか、一筋縄ではいかない、なんなら意地悪な、教養への愛憎なかばする複雑なものでした。
 かなり色々意見が出ましたし、それぞれの参加者の「私と教養」も面白かった。しかし今どき、教養について3時間も話している人たちは他にいるのだろうか、と思ったことでした。こんな機会もそうないですよ!

 以下、参加者から出た意見です。

Aさん
  •  教養とは、生きていくだけなら要らないけど、あったほうがよいもの。宇宙飛行士の若田光一さんが詩を詠むように。
  •  私が女性なので、4章(「女、教養と階級が交わる場所」)に入って一気に面白くなった。そうか、古典を読む的な教養は、男のものだったのか、と気づいた。
  •  男は教養があったらモテるというが、女は教養があってもモテない。
  •  そもそも、男は教養があったらモテるという思考が謎。
  •  教養が女性にモテるモテないの手段となっていることに気づくときの「いやったらしさ」、腑に落ちた。

Bさん
  •  教養とは、向上心。
  •  本書では主に、教養とは、向上心の、滑稽さ・イタさ。『三太郎の日記』には、「よりよく」って言葉が2ページで40回近く出てくる。(向上心を馬鹿にする一方というのではない。)あるいは、あとがき(233頁)によれば、教養とは、人間の複雑さをそのままにしめすという、『神聖喜劇』的グロテスクさ。
  •  ニューアカには、高み・近寄りがたさという概念がない。ので、教養=向上心への、トドメだった。大澤真幸曰く、「ニューアカみたいになりたいな、と思ってやったので、とても悲惨なことになっているんです」(160頁)

Cさん
  •  本書は、教養についての論かと思ったら、教養論についての論、教養論論だった。
  •  教養というのは、全方位的に情報をもっているという面がある。つまみ食いは教養ではない。そうすると、オタク的なやり方、一部だけを深めていくやり方が、教養を殺したのか。今の教養は、オタク的な教養、教養的な分野に特化した教養になっているのでは。なんなら、教養分野の専門学校を作ったってよい。
  •  ただ、昔の社会で教養が成り立ったのは、情報がまだしも限られていたからでは。現在のように情報が膨大なら、一部だけになるのは無理もないようにも思う。

Dさん
  •  教養とは、色々なこと、色々な選択肢を知っておくことで、困ったときに助けになるもの。成長するためのもの。
  •  エヴァンゲリオンなどを考えると、現在では、成長しないのでも、受け入れられるんだなと思う。個人的には、基本、成長しろよ、と思う。
  •  このまえ三島由紀夫を読んだら、これはだめだ、大人になってはじめて読むもんじゃないな、と思った。
  •  教養が低下した、昔はよかった、というのかもしれないが、満州事変のころから、教養は低下したと言われていた(83頁等)。

Eさん
  •  教養とは、マウンティングのための武器。
  •  教養主義には、対抗文化のはずだったものが、自身が権威になってしまうという逆説がある。ゲーテ、マルクス、吉本隆明・浅田彰と来て、今や、教養も大衆文化の一つにすぎず、教養主義は成り立たない状態では。
  •  もっとも、教養は、昔から、満州事変のころから、人生や社会の役に立ってない。
  •  唯一、教養が生き死ににかかわる問題となったのは、戦争末期のみ(117頁等)。しかし、生き死にの問題は常にあるはずで、したがって、教養の時代は、まだ来ていない。そういう意味で、私は(ベーシックインカムなどにより)本当の教養の時代が到来するのを待ち望んでいる。

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 楽しかった! そして今回はローストポークがおいしくできた!

 ではまた来月も、いい新書とともにお会いしましょう。